エーゾー、エーゾーそれでエーゾーZ

溶接、機械器具設置工事、バンド、遊び、11年目突入!のなんでもあり日記 ハードコアバンド LIVE IT DOWN vo.

カテゴリ:日記 > 真面目な話

我輩には  兄貴が2人いる
更に この世に産まれて来ることが出来なかった  死産した兄貴が2人いる 
   

この2人が普通に産まれてきていれば

間違いなく我輩は産まれて来れなかったであろう  

これは 昔から 親に聞かされていたし 分かってはいた



更に 我輩も嫁との最初の子供を流産で亡くしている     妊娠初期の頃だけどね。




娘達にも同じように 1番最初に産まれて来れなかった子供がいることを教えている


決して忘れてはいけない事なんだよね

忘れてはいないんだけど、  思いがあんまり届いていなかったのかな


今年の5月連休の時に  とある 親類から指摘を受けて  

供養をしなきゃダメだと  


霊感云々の話になってしまうのだが

勿論  気持ちの問題ではあるのだが

我が家はみな 意見が一致し  秩父小鹿野にある 水子供養地蔵寺でお地蔵さんを建立することを

決める。


5月に一度下見に行って どんなところなのか  

山奥なんだが、  広大な敷地にすごい数のお地蔵さん

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お地蔵さんごとに 依頼者の都道府県名が刻まれていて   


全国各地から家族の方々の依頼があることがわかる 

そのお地蔵さんの数に圧倒されるのだ
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約13000体以上  

びっくりする数だ 

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我が一族のお地蔵さんも出来上がり 

これから供養していかなければと

決して忘れてはいけない事と

改めて考えさせられた


御先祖様も水子も皆 同じなんだなと

産まれて来れなかった人の分まで毎日一生懸命生きる  


流産、死産   はどうしようもないが


 中絶に関しては

簡単に考え過ぎな時代 

人の命を軽視しすぎ

男女どちらも身勝手な行動で  1つの新しい命を

ダメにしているということ






なかなか行けないがこれからは  年に1回は

秩父のお地蔵様にご挨拶に伺います  


普段は仏壇で拝むけどね🙏


御先祖様、水子様 を 御粗末にしてはいけないのだー!

ワシャ そう思うのだ!



1番残念なのは 先日亡くなったお袋と一緒に来れなかったこと

お地蔵さんが出来上がったら 一緒に行こうねと言っていたのだがね

写真だけは一緒に持っていったけどね





親父日記ランキング



昭和19年  満州国で産まれ   敗戦と同時に日本に引き上げてきて 福井県武生市で幼少期を

静岡県静岡市で青春時代を過ごし 

結婚して 
埼玉県へ
 
そんな母ちゃんの

通夜が5月31日金曜
告別式が6月1日土曜   

執り行われ



お通夜の日の夜は 兄弟3人だけで斎場に泊まり

夜中2時過ぎまで  飲みながら 母ちゃんの思い出話をした     大人になってから兄弟だけで過ごす時間なんて無かったから貴重な時間を母ちゃんが作ってくれたんだわ


両日とも 多くの方々に参列いただき

有り難かった🙏

我が家は親族も多いので 親族だけでも約45人

大所帯だ


11:30出棺 

葬儀場から火葬場まで行く途中 

通り道を少し変更してもらい

会社兼実家の前を通ってもらい目の前で停車して

今の土地に来て ちょうど  40年 

オヤジと母ちゃんが一生懸命働いて 大きくしてきたこの土地

霊柩車に乗った 棺の中の母ちゃんにしばし見てもらい

再度出発する瞬間  車のホーンが鳴る 

その瞬間  バスに乗っていた我輩は  また 号泣だったぜ

こみあげてきたね


12:30〜火葬場にて 本当に最期のお別れ  

年甲斐も無く 泣いたね  


本当に沢山の愛情をありがとう🙏  と


74年の生涯を終えた  母ちゃんには

本当に沢山の事を学んだ  


おごることなく 常に冷静で    裏方に徹して

経理なんて やったことなかったのに

40年以上  会社を支えてきてくれた

昔  オヤジと喧嘩したことがあったらしく1度だけ
「あなたが経理やっていたら、とっくに会社は潰れてるわ」  って言ったことあるらしく

まさにその通りだったと思う(笑)  

偉大な母ちゃんだわ


完全に我が家の司令塔だったね

オヤジじゃなくて母ちゃんだね



司令塔を無くした我が家   

いなくなったからダメになったなんて言われないように 

これからも  しっかり やっていかねば


あの世から  監視してもらうようだ


続く・・・



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26日 日曜日  

朝から相模ノ国で 1人で蒸気配管の改修工事  

もともと そんなに時間はかからないであろうと思ってはいたが、 うまくいって ちょうど お昼で終了  

さぁ 昼飯食って 川越に戻ろうかなと思ったら

社長(兄貴)からLINEが  1通  

「なるべく早く帰って来い!」  

これは何を意味するのか?  だいたい予想は出来た 


もともと日曜 現場が早く帰れそうだったので

家族でお袋の病院へ 見舞いに行く予定ではあった

だんだん容態が悪くなっていくのはわかっていたので  みんなで行ける時は顔を見せに これが最期かもしれないと  毎週思っていた


そこにきての このLINE  


現場の駐車場のトラックの中で

すぐ兄貴に電話をする

すると いきなり涙声  

すぐ察した 


我輩も日曜の暑い車内で


号泣したわ

それからは 少しでも早く 母ちゃんの顔を見たくて号泣しながら 

圏央道で戻る





土曜の夜から 日曜の朝に掛けて 

苦しんでいたらしく

朝 親父が呼ばれ  

その時はまだ意識はあった

昼前に兄貴が行った時は既に意識朦朧 

そして 
2019年 (令和元年)5月26日 日曜日

12時17分  永眠 


74年間の生涯に幕
早すぎるよ




我輩が兄貴に電話したのが、
12時23分  

時すでに遅し  

兄貴とオヤジは看取る事が出来たが

我輩と地方出張の多い次男兄貴は看取る事が出来なかった  

仕事をしてなさい!って事だったのかなと



土曜日は 子供の運動会があるので




金曜の夕飯に付き添い 

苦しそうではあったが

少し話をして  

「土曜は来れないから日曜みんなで来るからね、おやすみ」    これがお袋との最期の会話だった


この2週間程は  見舞いの帰り際に必ず

握手をして病室を出てた

握る力は 結構力強くあったんだよね

だから まだまだイケると思い込んでいた


そして いつも 「今まで育ててくれてありがとう」って言葉を

言いたかったけど、なんか生きてるのに言いづらくて 言えなかった 


今更だが  後悔している

もっと素直に 「ありがとう」の言葉を言っておけば良かったと



若い頃から内科の医師にほとんど掛かった事が無く  高齢になっても 内科の薬は飲んだことなかったのに


最後の1年は今までの人生で飲んで来なかった分の薬を沢山飲んできた

何回も心が折れそうになってたはず

「修行が足りないって事だね」  と言っていた


肺がどんどんやられていき

金曜の最後の夕飯の時もほとんど食べられない状態だったのだが

「もうお迎え(あの世)に来て欲しい、もうどうなってもいい」と言っていたので

こっちは涙が出たわ


そして我輩も

「向こう(あの世)へ行ったって 美味いご飯食わしてもらえるか分からんから 今のうちに食べておこうよ!」    そう答えた



最後は身体全体がボロボロになっていた


家族の為に  炊事、洗濯をし

オヤジが自宅に人を呼ぶのが好きだから

その都度対応して 正月は毎年大新年会の

裏方に徹して

会社の為に経理をし

とにかく 働きっぱなしの人生だったはず



弱音を吐かない母ちゃんが自慢だったが

最後は弱音吐きまくってた

それが当たり前なんだな

普通の人間だから


勝手に母ちゃんは強いと思い込んでいた 


《何事もなるようにしかならない》

母ちゃんの口癖

この言葉をこれからも我輩は噛み締めて生きて行こう思う 


人間 誰だって必ず最期を迎える時は来る 

別にウチだけが特別なわけじゃない

ただ この時期になったってことなのかな

まぁ まだ早いけどね

もう疲れたんだろうな

突っ走り過ぎて   



「本当にお疲れ様でした」 


男3人の子供を育て  女は母ちゃん1人で 男系家族と思われたが

我輩らが結婚して孫4人が出来たら  孫全員女 (笑)

嫁も含めて 一気に母ちゃんの味方が増えて

女系家族に大変身  

嬉しかっただろうな


去年の11月辺りから5月24日金曜まで半年間以上  自宅療養中も入院中も

夕方6時くらいから1時間以上出来る限り 

温熱治療器したり  夕飯に付き合ったり

マッサージしてあげたり 

親子としての濃い時間を過ごさせてもらった



母ちゃん今まで本当に本当に 育ててくれてありがとう


本当にお疲れ様でした

今はゆっくり休んでください

ゆっくり休んだら 今度は上から

一族が道を外さないように監視しててください
 



我輩は今週は思う存分  

泣かせてもらいます

人目をはばからず泣くと思うので

お許しください



また母ちゃんの手作り餃子が食べたかったぜ
どこの店の餃子よりも美味かった
世界一の餃子



感謝しかありません
ありがとうございました  母ちゃん  




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2月3日 節分の日  

ちょいとひと昔前までは

豆まき で お父さんが鬼役で 豆投げつけられて 

終わってた 

いまじゃ   豆まきやらないで

恵方巻  食べて終わりなんて 家もあるだとか

豆まきの片付けが面倒とか 💦 

そもそも  恵方巻 なんて言葉すら

最近作られた 言葉だとか  


関西の地域で食べられていた 丸かぶり寿司 が

売らんが為に 変化して 恵方巻になったとか


今年は 官房長官も 一言  言っていたが 


もう少し 落ち着きましょうよ!

食べたい人が食べればいいんじゃないの?

必死こいて 売ろうとして ノルマ掛けて みんなに売らさせて

売り上げあげて  企業だけ 儲けて


夕方になったら 叩き売りして 残ったのを大量廃棄 なんて  

やめましょうや



今更来年から完全受注生産 にしたらどうなるだろう 


捨てるの 勿体ないでしょ

無駄を無くすなんて 

やってる時代に

一番 無駄でしょ

食べ物を粗末にするのは

けしからん

我が家も  嫁が 恵方巻 恵方巻ってうるさいから

豆まき でいいんじゃね?

それか そんなに寿司 食いたきゃ

回転寿司行こうぜ言ったわ


そりゃ風習が変わる事はあるだろうけど

なんか バレンタインデーやら 

恵方巻 やら

ホワイトデーやら  なんか   

踊らされてるよなぁー

誰かの金儲けのために

風習変わるのは おかしいわ

少し落ち着きましょうや



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15日夜  埼玉出発〜滋賀草津SAで車中泊〜姫路城ときて

再び高速道路に乗り現場に向かうが

もう一つその前に 寄りたい場所があり

そこは6月にほぼ丸々1ヶ月 アパート住まいさせてもらった 


岡山県総社市  

その総社市役所で

西日本豪雨災害の支援物資の受入を行なっているとSNSで先日知り 


少しばかりだが 支援物資を置いてきた

ゴーヘイと共に。



今まで 支援物資とかやったことなかったけど

なんか自分が住んでいた所が被災したとなると

気になって仕方なかった




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水は足りてるとのことで

我輩はお茶ペットボトル500ml、カップラーメン) を


ゴーヘイはお皿、スポーツドリンク、フライパン等 

必要な物は役所のホームページに掲載されている
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自分が世話になった街   また今月これから世話になる街に何かしたくてね


我輩が持っていったカップラーメンのケースを女子高生らしきボランティアの子が

小さくだが手を叩きながら「ありがとうございます。」と  喜んでくれたのが印象的だった。




テレビではあまり放送しなくなってしまったので


市役所行く前に  少しだけ

申し訳ないと思ったが

真備町の方にも足を踏み入れさせてもらった

大通りはだいぶ 綺麗にはなっていたが、まだまだ大変だいぶ時間がかかるだろうなぁという感じ

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大量のゴミ  
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全ての家の1階が水没

病院、ホームセンター、ドラッグストア
酒屋 然り

水没で営業出来ず


何軒かコンビニは再開していたが  




そして数多くのボランティアの方々が頑張っておられた



総社市役所の支援物資も真備町の方にも供給されるとのことで



まだまだ支援物資は受け付けているらしいので


総社市



倉敷市


この2つの地域だけじゃなく

被災した街に

何かしたいと思ってる方は

是非支援して下さい

まだまだ受入しているみたいなので


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水害のせいで水とアルミが化学反応起こして
アルミ加工工場が爆発した
総社市の地域
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ほとんどの家の屋根瓦等が衝撃と爆風で飛ばされたり、傷んでいた
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爆発現場  


相当な爆発音と衝撃波だったみたいだからね

2キロくらい離れてた居酒屋でさえ

入口のガラス扉が 地震かと思うくらい
物凄くガタガタ揺れたらしい





皆同じ日本人


助け合いですね




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