それでエーゾー 

溶接、機械器具設置工事、バンド、遊び、11年目突入!のなんでもあり日記 ハードコアバンド LIVE IT DOWN vo.

タグ:死去

昨年亡くなった 母ちゃんの弟 Y叔父さんが8日に病死したとの知らせを受ける 



色々紆余曲折あって千葉県某所の施設に入っていた独り身の叔父 

昔は家庭を持った事もあったのだが  


母ちゃんが亡くなった後 ちょうど昨年夏 袖ケ浦出張があったので叔父を訪ねて行った事があった


たしか我輩が奇跡のタコ🐙を釣った前日だ(笑)


もうその頃 脳に少し障害があって 
話が半分 分かってるかどうかという感じ

でも10年振り以上に会った我輩の事も分かってくれて嬉しかった  



若い頃色々あって散々母ちゃんや身内に迷惑を掛けた叔父   

今考えると 結構なプレイボーイな叔父!(笑)



会いに行った時「叔父さんが色々迷惑かけるから 母ちゃん癌で死んじゃったよ!」  と半分笑い、半分本気で言った(笑)

「あーそうかー」 って返事したけどね

ボケてる人に言ってもしょがない事は分かっていたけど、1回は言ってやりたかったのだ!(笑)



今となっては良い思い出だ

昨年会っておいて良かったわ



今年は 亡くなる身内が4人 多いわ

みんな歳とってきているんだろうけど

哀しいね

人はいつかは必ず死ぬんだけどさー


哀しいわ



こないだ福井県武生市(現越前市)に行った時も叔父が産まれて育った家も行って 眺めてきたんだよな


Y叔父さん 今までお疲れ様でした。
母ちゃんや周りの人には迷惑掛けた叔父かもしれないが

子供だった我輩にとっては 優しい叔父なんだよね




あの世で母ちゃんや爺ちゃん、ばあちゃんに会えてるかなー
それとも 迷惑かけたから
来るな!って言われてるかね?(笑)



Y叔父さん
御冥福をお祈りします!


親父日記ランキング

先日6月23日 いとこの娘が第二子(女の子)を出産 めでたい話だぜ! 
 この人口が減り続ける日本にとって貴重な新たな命の誕生 
コロナ渦の中での出産は色々制限があって大変だったと思う 特に家族  立ち会い出産も×     旦那さんや子供でも病院に入れない 等 病院によっても様々だろうが、 今まででは考えられない話だ

大変な世の中だけど、力一杯生き抜いてほしいぜ!



そしてもう一つは 昨日 6月30日 
親戚の叔父さんが亡くなった 比較的近くに住み 昔から職人だったので、人手が足らない日曜日等、我が社の現場を手伝ってくれたり、一緒に現場に行ったりした叔父さん  優しく、真面目で仕事人間の叔父さん 
小さい頃、静岡に連れて行ってくれたり、仕事帰りにふらっと 寄って ウチの母ちゃんとお茶飲みながら世間話して帰ったり、正月の大新年会で一緒に酒飲んだり 色々な思い出がある。

約5年前に大腸癌が見つかり そこから闘病生活 
完治していないのに、職場の事が気になり仕事に行ってしまう
責任感のある叔父さん 

最後は肝臓に転移
決して弱音を吐かなかったらしい

先週金曜に退院して自宅にて最期を迎える

亡くなる前夜は家族みんなが集まると、苦しい身体ながら色々 みんなと喋り続け、感謝をしていたらしい

もう自分の最後を分かっていたんだよね

母ちゃんの時も自分で「あと数日だから」なんて言ってたからね

こっちは堪らないよね



そして今日夕方  叔父さんに挨拶しに 自宅に行ってきた 

いい顔してた  本当普通に寝てるみたいでさ

今まで遺体をマジマジと見る事ってほぼ無かったけど、去年の母ちゃんもそうだが、 冷たくなってるんだよね 
なんにも喋ってくれないし、動かない
死を突きつけられる瞬間なんだわな


人の死って辛いわ


叔父さんの遺体の周りに座り、家族と暫く喋って思い出話したりして、もうそろそろお邪魔するかなと、線香あげて、立つとまた違う思い出話に華が咲き
なんだかんだでまた座る そしてまたそこから1時間喋って(笑)  その繰り返し
いつまで経っても帰れない
もう最後はコントみたいで大笑い !
今日は挨拶に行けて良かった

またお通夜は行かせてもらうけど



我が一族は親戚が多い 

めでたい話も多いが、比例して不幸な話もこれから増えてくる

親世代みんな高齢化し

誰でもいつかは死を迎える日が来るんだけどね

仕方ない事なんだけどね

いつ死ぬか分からないから

毎日を全力で生き抜いていきたい

仕事して、遊んで、酒飲んで、

ぐっすり寝て それの繰り返し 

充実した毎日を過ごせるかは自分次第


まだまだ生き抜くぜー


享年77歳 タル叔父さん 本当にありがとうございました

今までお疲れ様でした。

これからは上から見守っていてください


親父日記ランキング

26日 日曜日  

朝から相模ノ国で 1人で蒸気配管の改修工事  

もともと そんなに時間はかからないであろうと思ってはいたが、 うまくいって ちょうど お昼で終了  

さぁ 昼飯食って 川越に戻ろうかなと思ったら

社長(兄貴)からLINEが  1通  

「なるべく早く帰って来い!」  

これは何を意味するのか?  だいたい予想は出来た 


もともと日曜 現場が早く帰れそうだったので

家族でお袋の病院へ 見舞いに行く予定ではあった

だんだん容態が悪くなっていくのはわかっていたので  みんなで行ける時は顔を見せに これが最期かもしれないと  毎週思っていた


そこにきての このLINE  


現場の駐車場のトラックの中で

すぐ兄貴に電話をする

すると いきなり涙声  

すぐ察した 


我輩も日曜の暑い車内で


号泣したわ

それからは 少しでも早く 母ちゃんの顔を見たくて号泣しながら 

圏央道で戻る





土曜の夜から 日曜の朝に掛けて 

苦しんでいたらしく

朝 親父が呼ばれ  

その時はまだ意識はあった

昼前に兄貴が行った時は既に意識朦朧 

そして 
2019年 (令和元年)5月26日 日曜日

12時17分  永眠 


74年間の生涯に幕
早すぎるよ




我輩が兄貴に電話したのが、
12時23分  

時すでに遅し  

兄貴とオヤジは看取る事が出来たが

我輩と地方出張の多い次男兄貴は看取る事が出来なかった  

仕事をしてなさい!って事だったのかなと



土曜日は 子供の運動会があるので




金曜の夕飯に付き添い 

苦しそうではあったが

少し話をして  

「土曜は来れないから日曜みんなで来るからね、おやすみ」    これがお袋との最期の会話だった


この2週間程は  見舞いの帰り際に必ず

握手をして病室を出てた

握る力は 結構力強くあったんだよね

だから まだまだイケると思い込んでいた


そして いつも 「今まで育ててくれてありがとう」って言葉を

言いたかったけど、なんか生きてるのに言いづらくて 言えなかった 


今更だが  後悔している

もっと素直に 「ありがとう」の言葉を言っておけば良かったと



若い頃から内科の医師にほとんど掛かった事が無く  高齢になっても 内科の薬は飲んだことなかったのに


最後の1年は今までの人生で飲んで来なかった分の薬を沢山飲んできた

何回も心が折れそうになってたはず

「修行が足りないって事だね」  と言っていた


肺がどんどんやられていき

金曜の最後の夕飯の時もほとんど食べられない状態だったのだが

「もうお迎え(あの世)に来て欲しい、もうどうなってもいい」と言っていたので

こっちは涙が出たわ


そして我輩も

「向こう(あの世)へ行ったって 美味いご飯食わしてもらえるか分からんから 今のうちに食べておこうよ!」    そう答えた



最後は身体全体がボロボロになっていた


家族の為に  炊事、洗濯をし

オヤジが自宅に人を呼ぶのが好きだから

その都度対応して 正月は毎年大新年会の

裏方に徹して

会社の為に経理をし

とにかく 働きっぱなしの人生だったはず



弱音を吐かない母ちゃんが自慢だったが

最後は弱音吐きまくってた

それが当たり前なんだな

普通の人間だから


勝手に母ちゃんは強いと思い込んでいた 


《何事もなるようにしかならない》

母ちゃんの口癖

この言葉をこれからも我輩は噛み締めて生きて行こう思う 


人間 誰だって必ず最期を迎える時は来る 

別にウチだけが特別なわけじゃない

ただ この時期になったってことなのかな

まぁ まだ早いけどね

もう疲れたんだろうな

突っ走り過ぎて   



「本当にお疲れ様でした」 


男3人の子供を育て  女は母ちゃん1人で 男系家族と思われたが

我輩らが結婚して孫4人が出来たら  孫全員女 (笑)

嫁も含めて 一気に母ちゃんの味方が増えて

女系家族に大変身  

嬉しかっただろうな


去年の11月辺りから5月24日金曜まで半年間以上  自宅療養中も入院中も

夕方6時くらいから1時間以上出来る限り 

温熱治療器したり  夕飯に付き合ったり

マッサージしてあげたり 

親子としての濃い時間を過ごさせてもらった



母ちゃん今まで本当に本当に 育ててくれてありがとう


本当にお疲れ様でした

今はゆっくり休んでください

ゆっくり休んだら 今度は上から

一族が道を外さないように監視しててください
 



我輩は今週は思う存分  

泣かせてもらいます

人目をはばからず泣くと思うので

お許しください



また母ちゃんの手作り餃子が食べたかったぜ
どこの店の餃子よりも美味かった
世界一の餃子



感謝しかありません
ありがとうございました  母ちゃん  




親父日記ランキング

このページのトップヘ