26日 日曜日  

朝から相模ノ国で 1人で蒸気配管の改修工事  

もともと そんなに時間はかからないであろうと思ってはいたが、 うまくいって ちょうど お昼で終了  

さぁ 昼飯食って 川越に戻ろうかなと思ったら

社長(兄貴)からLINEが  1通  

「なるべく早く帰って来い!」  

これは何を意味するのか?  だいたい予想は出来た 


もともと日曜 現場が早く帰れそうだったので

家族でお袋の病院へ 見舞いに行く予定ではあった

だんだん容態が悪くなっていくのはわかっていたので  みんなで行ける時は顔を見せに これが最期かもしれないと  毎週思っていた


そこにきての このLINE  


現場の駐車場のトラックの中で

すぐ兄貴に電話をする

すると いきなり涙声  

すぐ察した 


我輩も日曜の暑い車内で


号泣したわ

それからは 少しでも早く 母ちゃんの顔を見たくて号泣しながら 

圏央道で戻る





土曜の夜から 日曜の朝に掛けて 

苦しんでいたらしく

朝 親父が呼ばれ  

その時はまだ意識はあった

昼前に兄貴が行った時は既に意識朦朧 

そして 
2019年 (令和元年)5月26日 日曜日

12時17分  永眠 


74年間の生涯に幕
早すぎるよ




我輩が兄貴に電話したのが、
12時23分  

時すでに遅し  

兄貴とオヤジは看取る事が出来たが

我輩と地方出張の多い次男兄貴は看取る事が出来なかった  

仕事をしてなさい!って事だったのかなと



土曜日は 子供の運動会があるので




金曜の夕飯に付き添い 

苦しそうではあったが

少し話をして  

「土曜は来れないから日曜みんなで来るからね、おやすみ」    これがお袋との最期の会話だった


この2週間程は  見舞いの帰り際に必ず

握手をして病室を出てた

握る力は 結構力強くあったんだよね

だから まだまだイケると思い込んでいた


そして いつも 「今まで育ててくれてありがとう」って言葉を

言いたかったけど、なんか生きてるのに言いづらくて 言えなかった 


今更だが  後悔している

もっと素直に 「ありがとう」の言葉を言っておけば良かったと



若い頃から内科の医師にほとんど掛かった事が無く  高齢になっても 内科の薬は飲んだことなかったのに


最後の1年は今までの人生で飲んで来なかった分の薬を沢山飲んできた

何回も心が折れそうになってたはず

「修行が足りないって事だね」  と言っていた


肺がどんどんやられていき

金曜の最後の夕飯の時もほとんど食べられない状態だったのだが

「もうお迎え(あの世)に来て欲しい、もうどうなってもいい」と言っていたので

こっちは涙が出たわ


そして我輩も

「向こう(あの世)へ行ったって 美味いご飯食わしてもらえるか分からんから 今のうちに食べておこうよ!」    そう答えた



最後は身体全体がボロボロになっていた


家族の為に  炊事、洗濯をし

オヤジが自宅に人を呼ぶのが好きだから

その都度対応して 正月は毎年大新年会の

裏方に徹して

会社の為に経理をし

とにかく 働きっぱなしの人生だったはず



弱音を吐かない母ちゃんが自慢だったが

最後は弱音吐きまくってた

それが当たり前なんだな

普通の人間だから


勝手に母ちゃんは強いと思い込んでいた 


《何事もなるようにしかならない》

母ちゃんの口癖

この言葉をこれからも我輩は噛み締めて生きて行こう思う 


人間 誰だって必ず最期を迎える時は来る 

別にウチだけが特別なわけじゃない

ただ この時期になったってことなのかな

まぁ まだ早いけどね

もう疲れたんだろうな

突っ走り過ぎて   



「本当にお疲れ様でした」 


男3人の子供を育て  女は母ちゃん1人で 男系家族と思われたが

我輩らが結婚して孫4人が出来たら  孫全員女 (笑)

嫁も含めて 一気に母ちゃんの味方が増えて

女系家族に大変身  

嬉しかっただろうな


去年の11月辺りから5月24日金曜まで半年間以上  自宅療養中も入院中も

夕方6時くらいから1時間以上出来る限り 

温熱治療器したり  夕飯に付き合ったり

マッサージしてあげたり 

親子としての濃い時間を過ごさせてもらった



母ちゃん今まで本当に本当に 育ててくれてありがとう


本当にお疲れ様でした

今はゆっくり休んでください

ゆっくり休んだら 今度は上から

一族が道を外さないように監視しててください
 



我輩は今週は思う存分  

泣かせてもらいます

人目をはばからず泣くと思うので

お許しください



また母ちゃんの手作り餃子が食べたかったぜ
どこの店の餃子よりも美味かった
世界一の餃子



感謝しかありません
ありがとうございました  母ちゃん  




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